タイトル

石見銀山協働フォーラム2024

石見銀山協働フォーラム「大あなご&石見銀山で考えるまちづくり」

主旨

 石見銀山遺跡の保全活用に関わることは、これまで「遺跡(世界遺産)の範囲」を中心に考えられてきた。その範囲へのこだわりは大切であるが、「内と外」で石見銀山遺跡の保全活用への温度差がある。あって当然の差ではあるが、内と外の区別が進みすぎると、「外」の人たちの無関心につながる懸念がある。石見銀山遺跡の範囲は鉱山と町、港、街道、城の範囲ではあるが、大田市を中心に石東エリアは戦国末から近世初頭までのおよそ400年間にわたって石見銀山を核として営まれてきた地域で在り、それは歴史の柱である。地域振興において、「地域アイデンティティー」、「地域ブランド」の重要性が指摘されて久しいが、当地の歴史文化の軸は石見銀山であり、地域の未来を描く上でその活用は欠かせない。 そこで、今回のフォーラムでは、「内と外」の社会が相互の関係性の中で育まれたものあり、石見銀山遺跡を大田市全体で保全活用することが、「内」、「外」を問わず地域の持続につながることを再確認したい。  また、保全活用には各種の産業と教育、行政を有機的につなぎ、一体的な取り組みになることが大切と思われる。すでに文化庁は文化財を教育や観光産業に活用し、地域社会の持続をはかり、文化財の保全につなげるという概念を取り入れている(その一例が日本遺産の制度)。ここでも「広がり」と「つながり」がキーワードになるであろう。  今回の対談は、生産から流通、消費までの産業を俯瞰してつないだことがブランド化につながった「大あなご」の取り組みが、石見銀山の保全活用においても参考になると考え、そのことを会場の参加者とともに考えることを意図している。 そして、人材なくして地域の持続はなく、教育の視点を欠かすことができない。すでに10年以上にわたって石見銀山学習が行われ、地域を学ぶことで関心が育まれることが期待されている。小中学生の学習はその段階が限界とは思われるが、広く社会と経済を動かした産業であった石見銀山から学ぶことができる要素は幅広く、歴史文化の枠を超えた学びが地域への理解につながることも期待したい。

○大あなごの取り組み

 生産業(漁業)から加工、流通、サービス業(飲食・宿)を俯瞰して人と組織をつなぎ、情報発信を同時進行させた。地域にある有形無形の資源をつないで産業化に成功した事例。ブランド化の取り組みがしばしば知名度向上に重点をおいて失敗するが、あなごの取り組みから学ぶことが多い。

○地域づくりとして石見銀山の観光を考える

(1)前提として、石見銀山は「商品」か

文化財と観光の関係は近くて遠い。世界遺産は観光目的の制度ではなく、遺跡地内での人の暮らしも商品ではないため、「観光」、「商品」という言葉に違和感や抵抗感を覚える人もあると思う。一方、今の文化財行政は文化財を観光などに活かして地域の持続を図ることで文化財保全の担い手と財源を確保する方向。日本遺産がその制度。 「商品」という言葉は適切ではないが、活用においては商品的に考えることも必要。

(2)石見銀山をどうみてもらうか

大森町はブランドイメージの確立に一定程度成功しているが、一般的な観光のイメージは弱い。「大森町の暮らし」というイメージは観光につながりにくいかも知れないが、他にはない強み。

(3)石見銀山は「わかりにくい」のか

石見銀山の紹介で枕詞のように「わかりにくい遺産」が使われるのを耳にする。来訪者への第一声が否定的な言葉は感心しない。 むしろ、「石見銀山で大量に産出した銀が日本のみならず世界の歴史を動かした」という歴史は日本の世界遺産の中で最も明快でわかりやすい。目に見えるシンボリックなものがないためにわかりにくいという評価もあるが、大森の町並みだけでも他の歴史的町並みと肩を並べる存在である。仙ノ山に残る採掘と生産の遺構の景観的な力もかなり大きい。地元がこれらを評価して価値を認めることが活用に欠かせない。そのためには、市民にしっかりと伝えることが必要と思う。

(4)産業としての観光

大田市の強みは観光に活用可能と思われる地域資源に恵まれていること。弱みはそれを収益につなげるしくみに乏しいことがあげられる。 これまでの行政の観光関連部署が担う観光推進は、情報発信とツアー型の旅行商品の開発に重点がおかれていていた印象。宿泊や飲食が強い地域はそれで良いかも知れないが、大田市では各種の産業を俯瞰して生かせるものを組み込み、多方面で収益化を図ることが必要ではないか。

(5)面としての観光、産業

観光産業の振興のためには、地域内での滞在時間を延ばす周遊策が必要と言われる。そのためには、大田市が有する地域資源をつなぐストーリーが必要となる。来訪者の興味関心を引くストーリーが望まれる。 大あなごのブランド力を全国区に持って行くためには、石見銀山とつなぐ旅のストーリーによって、相乗効果でブランド力が向上することを期待したい。

○教育と地域づくりと石見銀山

(1)学校教育は地域づくりを意識するものか

島根県は他県に先駆けて「ふるさと教育」を掲げ、地域を学び知ることが担い手育成につながることを期待してきた。ふるさと教育に割く時間を減らす方針が出されているが、ふるさと教育を理科や社会の教科書学習につなげる工夫があっても良いのではないか。石見銀山をはじめ、大田市には教科書学習につながる要素が多いと思う。

(2)教育の継承性と石見銀山学習

大田市では10年以上にわたって石見銀山学習に取り組み、石見銀山基金の大きな成果である。しかし、学習が先生個人の技能に依存しており、学校としての継承性に乏しいことに課題を感じてもいる。 ふるさと学習も同様で、取り組んだプログラムの内容と成果を蓄積し、翌年に活用できる仕組みがあると内容が充実するのではないか。報告書は全校分を閲覧できる仕組みがあるが、それを活かす体制があるとより具体化する。

(3)教育と産業の連携

地域産業に小中高生が何かの形で関わることは、ふるさと学習的な意味からより実践的なことまで多方面の意義があると感じる。産業の側からも商品開発や店舗の空間などに子どもの視点は参考になる部分があるのではないか。

(4)子どもが大人を変える

「大田は何もない」、「石見銀山に行ってもつまらん」という言葉を大人の口から聞くことがある。子どもからは「大田は良いところだ。自然が豊かで歴史がある。」という言葉を聞く。子どもが地域を知ることで大人の意識に影響する部分もあると思う。そこにもふるさと教育と石見銀山学習には意味があるのではないか。 子どもが楽しいと感じる町は大人が元気

○20周年の区切りにむけて「オールおおだ」の取り組みを

(1)石見銀山は大田市全体の歴史の柱

少なくとも江戸時代の大田市と周辺地域は石見銀山を中心にした社会であり、歴史文化の柱が石見銀山である。「石見銀山=大森」ではなく、大田市全体の財産として継承と活用することが望ましい。

(2)オールおおだのつなぎ方

地域全体で取り組むと言うことは簡単だが、実際は難しい。業種を超えた連携も難しい。 連携のための組織が作られることがしばしばあるが、形式的な集まりになってしまうことが多く、実行力につながらない。 大あなごの取り組みの突破力を見習いたい。

(3)銀の物語を他地域とつなげたい

20周年の年は石見銀山発見500年。発見の物語で福岡(博多)との連携を作りたい。博多における神屋家の歴史的存在は大きい。中国地方以西で最大の都市である福岡との関係構築によって、発見と銀の流通に関わる調査研究の深化と観光集客を期待したい。

(4)将来のための20周年に

10周年は散発的なイベント大会に終わってしまった。その反省を活かし、将来のまちづくりにつながる節目としたい。